読書「あちらにいる鬼」
あちらにいる鬼 井上荒野
もうこれもずっと以前に読んだやつ。
「暑い、暑い」と扇風機に当たりながらダラダラ読んだんだった。
この小説は、そんな風に少し不真面目に読むのが良いと思うの。
この小説の刊行時、世間にセンセーショナルに取り上げられたので、言わずもがなの不倫ストーリーである。
井上荒野さんのお父様、小説家井上光晴氏と瀬戸内寂聴さんの不倫関係は長く深く続き、寂聴さんが仏門に入られたあとも「同志」として濃い付き合いがあった。
井上氏の女性関係は寂聴さん以外もあちこちに種を蒔いて、そこそこの事件が勃発するのだが、笙子夫人にとっては、寂聴さんにだけ夫、井上光晴を共有しているという、ある種のシンパシーを感じていたよう。
そのへんところの笙子夫人の心理状態が、なによりこの小説の「軸」とわたしは思っている。
それにしても井上光晴というモテ男、時代が時代ならSNSで大炎上騒動を何回もやらかしたうえ、社会的に抹殺されるのがオチの「男」である。
出生地も職歴も「嘘」で固め、全身全霊小説家という出で立ちは、今のご時世では、ただの「嘘つき男」に成り下がる。
時代背景がその人自身を、崇めたり貶めたり。
人は時代の後からついてゆき、時代に合わせて生きていくものだ、と、ちびちびと思いながら読んだのだった。
「不倫は文化だ!」誰かが言ってたけど、あれ、あながち嘘じゃないかも。
井上荒野さん、このかたのバックグラウンドにとても興味が持てた。
両親のことを小説にする、という大胆な気概は父親譲りかもしれない。
物書きへのエスコート役は、すでにこの世にはいない光晴氏に他ならないのではないかしら。
光晴氏、空の上でニタニタしているか。してるな絶対。
ほかにも読んでみたくなり、図書館の棚にあった荒野さんの蔵書を、目をつぶって一冊選ぶような気持ちで借りてくる。
「だれかの木琴」
昨今、不穏小説というと今村夏子、っていう図式が出来上がってるけれど、荒野さんも負けてはいない気がする。
日常の中にある狂気以前の気持ち悪さは、今いろんなところにフツーに落ちてるからね。題材に事欠かないのはこの領域かも。
2016年に映画にもなったのね。
常盤ちゃん、美しすぎてどーだろ、って話し。池松壮亮はそのまんまイメージ通り。