一月の本
2021年が開けました。
今ごろ⁉というマヌケな感じでごめんなさい。(笑)
一月が”あれあれっ”と行って、二月が”ひょいひょいっ”と現れた。
ふりかえればひと月が月並みに「あっという間」な訳だけど、その日その日は、きちんと疎かにせず生活してきたんだと自己採点してみます。
結果や成果は見えないけれど、ちゃんとやってる感。
それは言い換えれば、日々無駄に過ごしてないってこと。
しかし日常の雑多に埋没されそうな「やった感」を掘り起こすのは、なかなか容易ではありません、はい。。
1月読んだ「本」の記録をまとめて、ここに残しておきます。
●チームオベリベリ 乃南アサ
乃南さんがライフワークと位置づけされてるのでは?と思われる、北の大地の女性一代記。
ページ数が600越え。本の厚みはゆうに5センチはあるかと思う。
本の重さに比例するストーリーの重厚さよ。
12月のバタバタな繁忙期に読み始め、図書館に返却するまでの2週間で半分ほどしか読めなかった。しかしこの小説は中途半端にしてはいけない。
で、電子書籍として買って読む。
記念すべき初めて電子書籍は「チームオベリベリ」。どこでも簡単に開けて読めて便利この上ない。
この分厚く重たく、持って歩くにはかなり難儀な本が、スマホの中に納まっちゃうという勝手の良さが、電子書籍の利点を一層感じた。
2020年から2021年をまたいで、わたしは明治の北海道の荒涼な大地を開墾するチームに思いを馳せ、壮大なストーリーと共に年を越していたのです。
● 猫だましい ハルノ宵子
ご本人は漫画家&エッセイスト。
「猫だましい」は「小説幻冬」に連載していたエッセイだ。
なんか病気とか骨折とか、厄介なことがいちいち多いハルノさん。
(大腸がんや乳がん、自転車でこけて大腿骨骨折や・・)
その上、訳ありな猫のお世話などもしている。
両親のお世話も(それは介護ともいう)やってのけた。
生活がとっちらかっている感じがするが、猫と酒があれば上等、という感じ。
潔い生活だ。
図書館に無かったので、これも電子書籍で買った。
自分へのお年玉ということで…(笑)
● パリの砂漠、東京の蜃気楼 金原ひとみ
著者のガラスの破片のような鋭く危うい感性が、ぐいぐい刺さってくる。
感性が研ぎ澄まされているということが、これほどの哀しく辛いものなのか。
鈍く生まれてきてありがとう、と思えた一冊。
著者の初めてのエッセイ。幼子二人を連れてパリで暮らした数年間の生活は、逃避なのか挑戦なのか、必然だったのか…。
たぐいまれな感性がご自分を痛め付けぬようにと思ったのでした。
● 森瑶子の帽子 島崎今日子
12月の誕生日に、お友達からプレゼントされた一冊。
作家森瑶子は、1980~90年代にかけてのバブル期に一世を風靡した作家さんだというが、わたしは名前はもちろん、その作品も、カケラも存じないかただったので、逆に先入観ゼロで平らな気持ちで読めたのだった。
島崎さんというジャーナリストの綿密な取材と巧みな文章力。
52才で亡くなった森瑶子の虚像と実像が、家族や森瑶子と一時代を築いた人たちの証言で浮かびあがって来る。
女ざかりに幕を閉じた作家の、ギュッと凝縮した人生はそのまま、ひとつのストーリーを紡いでる。縦の糸も瑶子、横の糸も瑶子~♪という人生だ。
バブルっていうオバケな時代の、ある意味象徴であったのね、この方。
自分でチョイスしたものではなかったので、正直、後回し的に、しかし、この本を私にプレゼントしてくださった意味もなにかしらあるわけで、気持ちを受け取りながら読み進めました。
読書 「鳩の撃退法」(上・下)
鳩の撃退法(上・下) 佐藤正午
blogから遠ざかって、二か月も経ってしもうた。
このblogに切り替えてから「blogを書く」ということがルーティン化してないことが明らかなわたしの日常よ。
わたしの「ToDoリスト」では、blogは「無理せず」とか「やる気になるのを待とう」のランク付けだからいけない。
年末になり、やっと「やる気」の芽が出たよ(笑)
とはいえ、相変わらずのペースで読書はしてるわけ。
読後、熱が冷めやらぬうちが、気持ちの入ったホットな「読後感」が書けるというものです。
「鳩の撃退法」は、今年一番手ごたえがあった作品でした。
読んですぐに、この場に書いたなら、どんなに熱く語れたものだろう…と少々反省をしながら、とにかく”今年一番”の小説だと、ここに気持ちを少し落としていきます。
(注 「鳩の撃退法」は2014年刊行。新刊ではありません)
「鳩の撃退法」と検索すると、「鳩退治」の方法などが出てくるので笑えるの。
「鳩の撃退法 佐藤正午」と検索するのをお忘れなくね。
「佐藤正午の小説は面白いよ」と文学好きの知人に教えてもらってから、佐藤さんのいろいろな作品を読んできたけれど、この方の小説は、いちいち面倒くさいのだ。
その面倒くささが、好きか嫌いか分かれるところだが、わたしは大好物、癖になる。
面倒くさい佐藤さんの小説の中でも、「鳩の撃退法」は面倒くささが飛びぬけていて、
ストーリー展開の行きつ戻りつ具合が半端なく弾けている。
「めんどくさいわーこれ」、と思いつつ、読む手が止まらない。
時々気を抜いて読んでいたら、必ずや後戻りする羽目になるのは憎たらしいところ。
不真面目なストーリーなのに(⁉)、一字一句、真面目に読まなきゃいけないのだ。
「上」から「下」へ夢中に一気読み。
先がまったく読めない摩訶不思議な面白さにくわえ、偏屈なストーリー展開が、時間を置くと絡まりそうで、ひたすら読む。
作者の思うつぼ?って感じだ(笑)
主人公は、かつては直木賞を取ったものの、いまはその日暮らしで場末で暮らす小説家、津田伸一。
なかなかの皮肉屋で、つかみどころのない奴である。
佐藤正午さんの顔を津田伸一に被せて読んでいるわたしがいた。
(思うつぼの、せめてもの仕返しに 笑)
それは、佐藤さん的には、どーなんだろう。聞いてみたい。
「鳩の撃退法」、もっといいタイトルあったのでは?と思うが、これインパクトなさそうで、けっこうあるね(笑)
ストーリーとタイトルと結びつくのは「下」に入ってから。
伏線をひろってひろって、そこに行き着くか~って、意外性に驚愕したり脱力したり。
再読したら、より味わいに深みを増すと思うわ、この小説は。
来年のToDoリストに「鳩の撃退法をも一回」と書いておこう。
特別な今年もあとわずか。
あと20日、特別な年をしっかり心に留めて過ごしたい。
では良いお年を。
読書「小さいコトが気になります」
小さいコトが気になります 益田ミリ
小さいこと…。 気になるたちだ。
特に人とのお付き合いにおいて、言ったこと言われたこと。あとになってから無性に気になったりすることがある。
(すぐ、じゃないところが厄介なとこ)
特に自分が相手に対して言ったこと。
言葉足りずで、言わんとしてることの本意が伝わったかが、突如心配になったりする。
過去において、実際あったから。
言ったことが真逆に解釈されて、関係がおかしくなったことが…。
しかし、そういう人は早かれ遅かれ、何かがかみ合わず、離れることになったんだろう。
たまたまキッカケが「その一言」だっただけで。
えーと、ミリさんの「小さいことが気になります」は、人間関係がどーしたこーした、ということは一切出てきません。(ほっ…)
人は確認を怠った時、小さな、あるいは大きな失敗をしでかしてしまうことがあります。しかし、この世にはさほど必要のない「確認」もあり、わたしは、その、さほど必要のない確認のために、そこそこの時間を費やしていることに気づいたのでした。
(本文より)
前半の文章「人は確認を怠った時、・・・~あります。」までが、なにやら格言めいてると思うのはわたしだけでしょうか。
「しかし、・・・気づいたのでした」のくだりは、世の中無駄なことなどひとつもない、という逆格言にも思えたりもして。。
ミリさん、そんなこと気になるんだ~、とか、
わかるわかる、わたしも、とか…。
共感と驚きと小笑で読み終え、読後ちょっとハッピーになったりするのは、コミックを読む感覚にも似てる。
ミリさんの本はいつもだいたいそんな感じ。
「キュン」となる読み物といえば、ミリさんで、わたしはさほど他人が面白みを感じない書物のために、そこそこの時間を費やしていることに気づいたのでした。(真似か⁉笑)
読書「常設展示室」
常設展示室 原田マハ
ふとしたことで悩んだり、日常に潤いを求めて、とか、はたまた人生の岐路に立ったとき、「そうだ、絵を観に行こう」という心がある人が眩しく見えるわたしだ。
美術館の常設展示室では、あなたを癒す画が、いつも同じ場所でお待ちしている。
いいな。そんなよりどころがあれば。
何かあった時に「美術館」で癒されたいという思考は皆無。残念ながらナッシング。
わたしという人間の中身はとても教養も内容もなくて、薄っぺらい。
一反木綿~(笑)
そういえば、若い頃、カラダがやたら薄っぺらかったので(胸もペッタンコで 笑)
一反木綿のようね、と云われて小さく傷ついたことがある。。
閑話休題。
芸術など語ったら最後、地雷を踏んで自滅しかねない、薄っぺらなわたしが、
マハさんのアート小説を読むことは、ちょっとした修行とも思っている。(←大げさ)
ストーリーと作品が合体したとき、頭の中の小さな教養スペースに、一滴の潤滑油が滴るような気分になれる。
潤ったわぁ、わたし。。という気分。
人生の岐路に立つ人々が、世界各地の美術館で出会う運命を変える一枚。
人生のきらめきを描き出す極上の6篇。
短編集。ひとつのストーリーに、ひと作品。
寝る前に一編づつ読む。
ちょうどよい長さに、寝つきが良くなるストーリー。
これは「修行」と感じることなく、無理なく読める短編集だった。
最後の「道」が抜きんでて良かったな、と思ったのは、東山魁夷のその作品を以前から知ってるせいだろうかと、読書メーターなどちらっと読んで確認作業などしてみると、やはりそうおっしゃてるかたが多かった。
万人がいいと思うものは、やっぱり間違いなくいいということだ。
読書「あちらにいる鬼」
あちらにいる鬼 井上荒野
もうこれもずっと以前に読んだやつ。
「暑い、暑い」と扇風機に当たりながらダラダラ読んだんだった。
この小説は、そんな風に少し不真面目に読むのが良いと思うの。
この小説の刊行時、世間にセンセーショナルに取り上げられたので、言わずもがなの不倫ストーリーである。
井上荒野さんのお父様、小説家井上光晴氏と瀬戸内寂聴さんの不倫関係は長く深く続き、寂聴さんが仏門に入られたあとも「同志」として濃い付き合いがあった。
井上氏の女性関係は寂聴さん以外もあちこちに種を蒔いて、そこそこの事件が勃発するのだが、笙子夫人にとっては、寂聴さんにだけ夫、井上光晴を共有しているという、ある種のシンパシーを感じていたよう。
そのへんところの笙子夫人の心理状態が、なによりこの小説の「軸」とわたしは思っている。
それにしても井上光晴というモテ男、時代が時代ならSNSで大炎上騒動を何回もやらかしたうえ、社会的に抹殺されるのがオチの「男」である。
出生地も職歴も「嘘」で固め、全身全霊小説家という出で立ちは、今のご時世では、ただの「嘘つき男」に成り下がる。
時代背景がその人自身を、崇めたり貶めたり。
人は時代の後からついてゆき、時代に合わせて生きていくものだ、と、ちびちびと思いながら読んだのだった。
「不倫は文化だ!」誰かが言ってたけど、あれ、あながち嘘じゃないかも。
井上荒野さん、このかたのバックグラウンドにとても興味が持てた。
両親のことを小説にする、という大胆な気概は父親譲りかもしれない。
物書きへのエスコート役は、すでにこの世にはいない光晴氏に他ならないのではないかしら。
光晴氏、空の上でニタニタしているか。してるな絶対。
ほかにも読んでみたくなり、図書館の棚にあった荒野さんの蔵書を、目をつぶって一冊選ぶような気持ちで借りてくる。
「だれかの木琴」
昨今、不穏小説というと今村夏子、っていう図式が出来上がってるけれど、荒野さんも負けてはいない気がする。
日常の中にある狂気以前の気持ち悪さは、今いろんなところにフツーに落ちてるからね。題材に事欠かないのはこの領域かも。
2016年に映画にもなったのね。
常盤ちゃん、美しすぎてどーだろ、って話し。池松壮亮はそのまんまイメージ通り。
読書「家族じまい」
家族じまい 桜木紫乃
八月最終日。八月尽である。
ご無沙汰もいいとこの、この場所です。
「家族じまい」は、とっくに読んでいて、今読了感を書こうとしても、リアルな感想がでてこない。こまった。。
ストーリーはぶっ飛ばそう(笑)
フィクションであるけれど、家族構成や実家の「生業」などは、桜木紫乃さんの「お家」を深く反映しているもので、桜木紫乃さんは長女の「智代」と重ねることができる。
長女智代は、実家を出たときに、すでに親を捨てている。(気持ちの上でね)
それには、そういうふうにならざるを得ない理由もあるわけだけど。。
次女乃理は、親を思い、夫を思い、子供を思い、思い過ぎて、徐々に精神が疲弊して壊れていくという設定。
智代と乃理、心の距離が離れすぎて、それを埋めることが出来ないでいる。
この小説は短編集になっていて、認知症になった母と横暴な父に関わる女たちがそれぞれに、ひとつのストーリーを紡いでいく。
わたしは、母サトミの姉、登美子さんの章が、清々しく、優しく読めた。
情が深い人が「いい人」なら、薄情な人はどうなんだろう。いけない人なのか。
登美子さんは、情に流される人ではないが、薄情な人ではない。
人の多面性。前から見て横から見て後ろからもよーく見て、その人となりがようやく朧げにわかるというもの。
そして心の奥底は、誰にもわからないし、わかろうとしてはいけないものだ。
「親の介護」がテーマの物語なのに、一番感じたところは、そーゆーとこ。
桜木さん、この小説で「中央公論文芸賞」を取られた。
介護小説においても、目線が冷やかで、それでいて心の隅っこが燃えてるような、桜木さんの本来の気質がありありと感じられて、面白く読ませていただいた。
読む人がいないと思うと、いくらでも体たらくになれるものなのねぇ(笑)
張り合いがないという思う反面、怠けるだけ怠けられる。
気が楽というもの。
自分だけの小箱に投函する。
自己陶酔の蜜の味は、甘くて苦い。
読書「派遣添乗員ヘトヘト日記」
派遣添乗員ヘトヘト日記 梅村達
「謝るのが仕事だよ」
添乗員自身がなげく“日雇い派遣"、ほとんど憂鬱、ときどき喜び
――生活と痛みのドキュメント――
わたしの町には、書店というものは一軒しかなくて、近所の中型スーパーにこじんまりと展開してる小型書店がある。
雑誌、漫画本、ベストセラー本や売れ筋の新刊。そして高齢者嗜好の健康本などが、きちきちと並べられている本屋さんである。
多くのことは望めないその書店において、わたしの鼻がひくひくする本に遭遇することは、今までほぼ100%無かったのだが、この本をそこで見つけて、100%を撤回することにします。
93%くらいにしよっか(笑)
旅の添乗員さん、その激務ったら想像を超えるだろうな、と思ったら、やっぱり想像をはるかに超えるらしい。
旅好きには添乗員という仕事は、一見魅力的。でも激務だってことも重々承知の上で、
怖いもの見たさでページを開く。
やっぱりかぁ。。。
わたしが、もし添乗員になったとしたら、まず二日目ぐらいで過敏性腸症候群(いわゆるお腹ピーピー)でダウンすること間違いないな。
(ストレスが全部、胃腸めがけて押し寄せるタイプ)
いやいや、ごくろうさまです、の気持ちいっぱいで読了。
この本が図書館にあったということも、ナイスなことだった。
著者の梅村さんというかたは、添乗員だから、トーゼンだけど、作家さんでもライターさんでもないのに、だ。
小さな書店で見つけた、名も無き人が書いた個人的な手記。
それがなぜか図書館の蔵書にあったこと。
偶然が二つ重なって読めたことはナイスな一件でした。